国史を訪ねて、諏訪大社へ
歴史学者で、西洋美術史研究の大家でもあられる田中英道先生はじめとする、日本国史学会の勉強会で諏訪大社を訪れました。
諏訪大社本宮境内にて、一緒にお写真撮影お願いしちゃいました。
(◆諏訪大社というのは、本宮、前宮、そして、春宮、秋宮と4つあります。)
田中先生のご研究は、独創的でなおかつ真理をついてらして、かなり刺激的。一度是非、直接お話伺いたいと考えておりました。
1)最初に訪れたのは、御手形諏訪神社
奥にある丸い石が、”御手形石”と言われるもの。
神話にある、出雲の国から国譲りによって、逃げてきた建御名方の命(たけみなかたのみこと)(諏訪大明神)と、追ってきたのは高天原の武甕槌の命(たけみかずちのみこと)(鹿島神社)が、話し合いの末、この石の上に互いの手形を遺した、とされています。風化してほとんどわかりません。
2)続いて、諏訪大社本宮。
幣拝殿と片拝殿のみで、本殿をもたない独特の造り。鳥居を入って90度曲がると、社殿が正面という変わった構成。
田中先生のお話ですと、多分、出雲大社の方角を向いているのだろう、とのことでした、なるほど。
3)続いて、諏訪大社前宮、十間廊へつづく階段。
江戸時代まで、毎年ある時期に、75頭の鹿の頭部をここに並べて神さまに捧げた儀式が行われていたそう。
動物の頭部、それも75頭も!なんとなく、違和感ありますよね。
ちょうど、宮司さんのおつとめのお時間。朗々と流れる祝詞や太鼓、美しい光景でした。
清々しい湧き水がたわわに流れ、
立派な樹木。御柱祭の地元ならでは。
ピンク色の彼岸花、初めて見ました。豊かな自然に癒やされます。
4)次は、物部守屋神社へ
階段ばかり、どんどん上がっていきます。そう守屋山へ。
中腹くらいに、石のほこらが数体。神紋などを確認。
そう、旧約聖書のアブラハムとイサクの話、ご存じでしょうか?
高齢になったアブラハムがようやく授かった息子イサク。そのイサクを神に捧げるよう、ユダヤのヤハウェ神からお告げがあり、そうしてアブラハムは、モリヤ山で、イサクの首を斧で切り落とそうと、斧を構えたとき、天使がそれを止めた、という日本人にはかなり違和感のあるお話があります。
その後、少年ではなく、羊の首をお供えするようになった、というのがユダヤ教。
諏訪では、守屋山に、75頭の鹿(多分、羊は間に合わなかったのか)の頭を捧げるお祀りが、江戸時代までずっと続いていたわけで・・・。
そうしてお夕食へ
初参加、ということで幹事さんが田中先生のお隣の席を、私に案内してくださって!もうもちろん質問しまくりで、ありがたい限りでした。
5)こちらは、諏訪大社春宮。
春宮の神楽殿。出雲大社を彷彿とさせる立派なしめ縄。
左右片拝殿、という春宮、秋宮に共通した造り。
立派な樹木がいっぱい。
6)続いて、諏訪大社秋宮。訪れた8月には、秋宮にしか宮司さんはいらっしゃいません。
秋宮の神楽殿も、春宮同様、しめ縄の存在感が印象的。
秋宮で昇殿参拝を。巫女さんが、わざわざ手水を。
7)続いて、手長神社。素戔嗚命スサノオの奥さま、櫛名田姫クシナダヒメ。ご存じ、ヤマタノオロチに捧げなければいけない最後の娘、と泣いていたのが、母親である手長(てなづち)と父親の、足長(あしなづち)。
このお母さまを祀ったとされる神社です。
かなり階段を登った高いところに、鳥居そして階段。
階段続きます。
諏訪大社に共通する、片拝殿のつくり。
こちらの摂社、聖徳神社。
聖徳って、あの聖徳太子。聖徳太子って、実は大工さんの神さまだって、ご存じでしたでしょうか!?
高島城改築用にと作られたシャチホコが、不要となったため、こちらの狛犬代わりに設置されているそうで^^
聖徳神社の鳥居。緑が美しい。
8)次は、八剱(やつるぎ)神社へ。
こちらでも、昇殿参拝を。宮司さんは、あの田中英道先生がお見えになられる、ということで緊張されてらしたとか。かなりサービスしてくださいました。
興味深い話を伺うことができました。
境内にある梶の葉の案内。諏訪大社の神紋(家紋のようなもの)は、梶の葉なのです。その葉の裏に文字が書けるとか。
こちらが、リアル梶の木。
9)足長神社。
手長、足長・・・異形の人だということだろう、と田中先生。なるほど素戔嗚命も櫛名田姫も・・・。
ちなみに、出雲大社の主祭神は、大国主命(オオクニヌシノミコト)ですが、素戔嗚命(スサノオノミコト)の6代目にあたります。
そして、長野といえばお蕎麦ですが、
とっても美味しかったです。
10)神長官守矢史料館へ。
諏訪大社の”神長官”という、祭祀を司っていた守矢家に伝わる史料が展示されています。
なかなか趣のある建築物だと思っていたら、建築探偵、藤森照信さんの設計だそう。
これ、例の鹿の首です。イノシシも混じっています。壁面に並べられていますが、やはり日本人には違和感ありますよね。
守矢家は、代々、諏訪大社前宮十間廊で行われていた”御頭祭(おんとうさい)”を執り行っていたのですね。
諏訪でも、旧約聖書のような物語がのこっていて、人を捧げものにする代わりに、鹿を供えた、と伝えられているようです。
こちら敷地内にある、”御頭みさく神”。これって、旧約聖書のイサクが、みさく、となったのだろう、と田中先生。
モリヤ山が守屋山だし。
というわけで、渡来人、それも西方ユダヤ人が、日本に来ていたのだろう、とは田中先生のお考えです。
そもそもDNAの40%くらいが、日本人とユダヤ人に共通するそう。
反対に、日本人と、中国韓国人は、かなり異なるそう。
さらに、日本語の中には、3000以上もヘブライ語に似た言葉があるとか。
ワッショイ、とか、ユダヤの木の神さまがアシラ、というのだそうですが、柱だし。京都の祇園祭は、シオンから来たのだろうと田中先生のお考え。
素戔嗚命ら、出雲系がユダヤ出身と考えると、古事記に遺る乱暴狼藉も納得できるし、私は全面的に田中先生のお考えを支持しています。
なぜって、すんなり納得できるから。
そしてこちら、史料館の隣のお家。屋根の家紋を見てください。十字架ですよ、つーか十字ですけど、これって意味深ですよね。ちなみに島津家の家紋も十字だそう。
11)荒船山神社里宮
そして、建御名方主神が主祭神の、荒船山神社。
境内には、天然もののカブトムシがいたりして、なんとものどか。氏子さんや、教育委員会の方まで、待機されていて、ビックリ。
神社の歴史風習など、お話くださいました。
敷地内の、古代ハス。
こちらが、バスの中から撮った”荒船山”。船がひっくり返ったような形からの命名だそう。なんとも見事な自然の造作。
12)そしてラストが、群馬県側にある荒船神社。建御名方神の敵神、経津主命(フツヌシノカミ)香取神宮の主祭神ですね。
どうして県をはさんで、宿敵同士の神社があるのか、教育委員会の方のお話では、明治時代からそうなったとかで、歴史的なものではなさそうでした。
というわけで、かなり充実した旅となりました。田中英道先生の著作は、
私の大好きシリーズですが、まだまだたくさん出版されてらっしゃいます。論文も多数。
もし興味もたれたとしたら、このあたりから読み始めると、わかりやすいかと思います。
日本って、日本人って、実はすごいのです。
■根本から体を良くしたい方はこちらへ!
メニュー/アクセス/メールでご予約/
月曜木曜定休:営業時間9:30~20:00(最終受付)