日高見国を訪ねて!茨城北部、日立へ
日本国史学会の勉強会で、茨城県常陸へ。
じゃ~ん、田中英道先生と、またお写真撮らせていただいちゃいました!御岩神社の参道にて。
今回も、かなり興味深い講義の連続で、非常におもしろかったです!
1)静神社
このシンプルな鳥居、これは高天原(たかまがはら)系の神社の様式です。出雲系とは異なりますね。
みんなの要望で、静神社についての案内板脇に立たれた田中先生。なんだかいい感じ。
いいお天気。階段がつづきます。
静神社、御祭神は、武葉槌命(たけはづちのみこと)。なんでも男勝りの女神だそう。日本で初めて織物を織った神さま、といわれているそうです。
2)続いて、御岩神社。こちらもシンプルな高天原系の鳥居です。
心地よい森の中の神社。涼しくて清々しくて、人出も多かったです。
森の中の参道。とっても気持ちがよかったです。
高さ50メートル、樹齢600年!の三本杉。とにかく威厳のある佇まい、しめ縄がなくとも、その存在感にひれ伏しそうな立派な御神木。
美しいせせらぎ、御神域感満載です。
美しい苔。
森の参道を抜けると、御岩神社、本殿。
御祭神は、国常立命(くにとこたちのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)、と古い神さまばかり。
続いて、
神峰神社。こちらも御祭神は、伊耶那岐命、伊邪那美命、熊野櫲樟日命(くまのくすひのみこと)高天原系の古い神さまばかり。
神峰神社のすぐ近くにあります、吉田正音楽記念館から見た太平洋。水平線が伸びやかです。
海も、空も、”あま”。
高天原、日高見国、とされるところは、天上ではなく、関東以北である、というのが田中英道先生のお考え。
ですから、出雲の国へ、高天原からくる、というのは、船で鹿島から来た、という斬新なお考えです。
たくさんの本や論文を出されてます。そうした緻密なご研究の成果を拝読しますと、
なるほど!と。古事記や日本書紀が、外国によくある空想の”神話”ではなく、実際にあった日本の歴史だということに、納得させられます。
あのレヴィ・ストロースも、日本の神話だけが、現在との連続性がある、と評していたとか。
続いて、大甕神社(おおみかじんじゃ)で、昇殿参拝。
こちらの主祭神は、武葉槌命(たけはつちのみこと)、地主神が、甕星香香背男(みかぼしかがせお)。
武葉槌命は、静神社の御祭神でもあられます。
こちらは、皇紀元年(紀元前660年)の創建。
鹿島神宮、香取神宮の神さまに従わない香香背男を、武葉槌命(男勝りの女神)が、霊力で宿魂石に封じた、とされています。
実は、武葉槌命のハニトラに香香背男がかかった、という説もあるそう^^
で、この小山のような岩山が、その宿魂石。
こんな急勾配。
上り詰めると、
お社が。そうそう、この岩、同じ線上の海中にも、突き出た岩があるそうで、地元の漁師さんが、お正月にはその周囲を回るとか。
おもしろいですね。日本の地形。
こちらの神社には、こんな鶏も。
そもそも大甕神社の主祭神は、明治までは天手力男命(たじからおのみこと)、天岩屋戸に天照大神が隠れてしまわれた際に、岩戸を開いた、という力持ちの神さま。
それが明治になって、学者の意向なのか政府の意向なのか、主祭神が変わったそう。他の神社でもこうしたお話聞いたことがあります。
そうそう、この大甕が、日高見国と大和国の境界だった、と宮司さんが!
(後日、確認しましたら、新井白石の記したものや田中先生の著作をもとにしたご自身の推測で、伝承ではない、ということでした)。
なかなか興味深いですね!
そう、祝詞でも、”大大和日高見国(おおやまとひだかみこく)”と言いますよね。
つまり、大和(奈良周辺)と日高見国(関東以北)と、あわせて一つの国であることを指している、というのが先生の説。
こう考えると、江戸時代まで3つしかなかった”神宮”が、伊勢以外は、鹿島と香取、関東にふたつもあった理由も説明できます。
最後は、貝塚へ。
南高野貝塚(みなみこうや)。縄文時代中期、後期、晩期の貝塚だそう。
シジミを中心とする貝だけでなく、カツオやスズキなどの魚類、イノシシやシカなどの動物の骨、
土器や斧、皿などの石器も出土しているそうですが、現状の佇まいは公園。
貝塚は、貝殻を集めたゴミ箱ではなく、道具も含めて神のやどる貴重なものとして集められた場所だそうです。
現状では、海からかなり離れた高台にありますが、こんな貝が。
興味深く、日本の古代史に触れる一日でした。
ありがとうございました。
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