縄文時代って、実はすごかった!

東北大学名誉教授で美術史家、歴史家でらっしゃる田中英道先生の、”縄文学のすすめ”講演会へ参加して参りました。

中央が田中先生、左が、東京大学名誉教授で救急医療ご専門の矢作直樹先生、右側が理学博士、理論物理学者の保江邦夫先生とのパネルディスカッションの場です。

こちらはじゃ~ん!

津軽湾です。空路参りました。縄文といえば、青森の三内丸山遺跡でございます

 

飛行機から撮りました、中央右に見えます小さな小山が富士山。美しかったです。

 

そうして東北の山々。

 

懇親会での田中英道先生、ご講演素晴らしかったです。

 

みなさんで乾杯。

戦後、考古学から文化から政治から、日本人は自分自身を否定してきました。

ですが、実は16200年前の土器が、青森県大平山元遺跡から発見されているのです。おそらく世界最古でしょう

世界の他の地域は旧石器時代のころです。石器ですから石を削ったもの。日本では16200年前に、土をこねて焼成する土器の文化が存在していたのです。

また”オリエンテーション”、よく使うことばですよね。方針を決めたり伝えたりすることを意味しますが、

オリエントorientとは、東です。東に向かうこと、でもあるのですね。

そして東、さらに極東とは、日本ですね。フランス語で日本は、le soleil levant(日の昇る国)ともいいます。

日本でも、古代エジプトでも南米でも、世界は太陽信仰から始まっているのです。

ヨーロッパの大聖堂も、みな東を向いているのだそうですよ。

 

そして実際、

縄文遺跡は、上の図でわかるように圧倒的に関東東北の東側に集中しているのです。

 

神社のお祓いであげていただきます”大祓祝詞(おおはらいのりと)”に、「大倭日高見国(おおやまとひだかみこく)」という言葉が使われています。

これが、大和(奈良)と日高見国(関東東北)を指す、と田中先生はおっしゃいます。

岩手を流れる”北上川”が、実はもともとは”日高見川”という名称だったことなど、ほかにも多くの論拠があって、合点がいきます。

 

それはそうと、縄文遺跡によくある竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)に、田中先生は日本人の精神性が現れている、とおっしゃいます。

外国には、”おにいさん””いもうと”など、兄弟の上下を指す言葉がありませんね。これは日本人の年功序列、家族精神などが竪穴式住居に現れていると。

これまでは、農耕が始まらないと定着しない、狩猟民族は定着しないから文化が生まれない、とされてきました。

ですが、縄文人は農耕を始めていないにもかかわらず、三内丸山遺跡、竪穴住居に見られるように定住していたのです。

(二ツ森貝塚の竪穴住居)

 

狩猟採集漁猟しながら、定住し美しい縄文土器や土偶をつくる文化度の高い生活を4,5千年続けていたのです。

近代より長いですね。

・家に入るときは、靴をぬぐ(家の中は聖域)

・お食事の前にお箸を置いて、結界とする(お食事は聖なるもの)

・床の間は、日本独自の聖なる芸術空間だったのです!いやぁ全く知りませんでした。

このように、縄文時代から日本人は、”美の空間”を知っていたのです。

 

 

進歩史観、唯物論が大手を振る今日、縄文時代というと現代とはかけ離れた、遅れた原始時代と学校でも教えられてしまいます。

ですが実は、精神的には今日よりもずっと幸福だったように思います。

日本では、他国と大きく異なり、あれだけ長い縄文時代に戦争がほぼなかった(殺戮された遺骨がない)のですから。

そして16000年前から竪穴住居および共同体で育まれた、精神性が実は今日の日本人に脈々と受け継がれているようなのです。

翌日から、実際の遺跡を訪ねました。

青森の満月、うっとり。

 

 

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