貝塚!ストーンサークル!いろいろあります北東北の世界文化遺産
1)次に向かいましたのは二ツ森貝塚。
緑ひろがる広大な敷地に、竪穴住居がちらほら。でも実は、もっともっと住居は密集していたようです。
もともと遺跡となる直前は、長芋やトマト、タバコなどを栽培していた畑だったそうです。
日本国史学会メンバーからの質問攻めに。お優しいガイドさん
”縄文海進”といって、縄文時代はもっと海が広かったのですね。
こちらの地図の深い青が、現在の小川原湖。現在湖から遠い二ツ森貝塚は、当時は湖のほとりに位置していました。
ですから汽水性、海水性の、ヤマトシジミ、はまぐり、カキ、ホタテ、あさり、スズキ、真鯛など食べていたそうです。
資料館がお休みだったため、写真で見せてくださいました。
発掘された犬の骨です。多くの貝で覆われていたため、かなり良い状態でまるまる一体保存されていたそうです。
復元すると、このような柴犬の原型っぽいお姿(三内丸山時遊館内展示)に。
大切に埋葬されたのでしょう。
地面に貝がいっぱい。畑でしたからね。
発見された遺物のかずかず。
2)つづいて、ストーンサークルで有名な小牧野遺跡へ
まずは展示している小牧野館へ。
環状列石を上空から見た写真ですね。
外側から、中心が直径35メートル、その内部は直径29メートル、真ん中が直径2,5メートルの円をえがいて石が配置されています。
石斧(せきふ)
石を切る説明が。こちらの男性の姿は、あくまでも現代人の想像ですので。
ストーンサークルがあるのは、丘の上になります。下の川から大きな石をたくさん運ぶ必要があったわけです。
運んだ方法は、こうしたものであったのでは、という展示。
ここに特徴的なのが、装飾が施された三角の石の数々が大量に発見されていること。
というわけで、実際の遺跡へ。
あの最中央にある円の真ん中に、墓標のような石が。
こんな石たちも。
この石積み上げ方式が、こちら独特なのだそう。墓所もいくつも発見されています。
青森市内が見渡せる絶好のスポット。右下に谷、川があります。そこから石を運んだと考えられています。
というわけで、縄文時代、実はわからない事だらけなのです。
ガイドさんたちは、発見された物の説明をしてくださいます。
ですが、実際どういう目的でどのように使われていたか、現段階では全くわかっていません。なにしろ5000年も昔のことですから。
ただはっきり今回、私の中で明らかになったのは、縄文時代は
・かなり高度な技術があった
・貨幣経済なしで円満な共同社会を築いていた
・貨幣経済なしで、他地域と交易していた
という点です。
そうした信頼関係人間関係が築かれたのは、太陽信仰なのか、なにかしら共同体に共通の精神的な規範があったからでは。
ともかく、縄文時代は遅れた古代人でないことは明らかです。
現代の日本人に累々と継承されている精神文化の基盤が、ここで数千年にわたって培われてきたようです。
世界に類のない、最古の歴史を持つ日本人。
その礎が、ますます明らかになっていきますように☆