着物はなぜ”右前”に着るのか!健康上の深~い意味

着物を左前に着たイラストが炎上しているとか。

アンティーク着物イベントのポスターです。

おっよそ着物とは思えないナゾの衣装を着た少女が描かれています。

それが亡くなった方に着せる”左前”に描かれていることが、批判されているとか。

 

ちなみに、右前とは、右側の襟が自分の手前側にくるように着ること。そうすると、右手に持ったハンカチなどをさっと懐に入れられるのです。

 

 

とっても使い勝手良く考えられています、着物システムって超頭イイ!ってよく思います。

“道行き(みちゆき)”という、いわばジャケットのポケットも、パスモを入れる絶妙な位置にあるんです!

 

着物、日本独自でしょ、問題

そうそう、着物や着物を右前に着るのは、中国からの伝来とかいうネット上の文章をみかけますが、有りえません!

 

たとえば752年、大仏の開眼式が開かれているのですが、日本(聖武天皇)主催の国際的な大イベントだったのです。

インドや唐、高麗、ベトナム、カンボジアなどからも総勢1万数千人が参列したと記録されています(『天平のミケランジェロ』田中英道著、弓立社)。

国際的な文化大国だったわけです。8世紀って、スゴすぎですよね!

歴史的に古いだけでなく、唐(漢民族でなく鮮卑族ですから)や高麗がもう存在しないのに対して、日本の治世(皇統)はず~っと今日まで続いていることが重要です。

 

そもそも唐の僧侶、鑑真(688~763)が5回も海で遭難を繰り返し失明してまで、そうまでして日本に来たのは、なぜだと思いますか?

仏教が発展していたからでは。

 

 

聖徳太子が書かれた『三経義疏』(611年)という、仏教に関する論文がありますが、国際的に評判高かったようなのです。

 

また学校で、”遣隋使”とか”遣唐使”とか、しつこいくらい暗記させられますが、”遣日使”とは、一切教えられてきませんでした

随や唐から、日本に学びにきた”中国人”がいたのです。しかもその数は、遣隋使遣唐使よりずっと多いのです(『日本と中国外交史の真実』田中英道著、育鵬社)。

文科省は、正しいバランスの取れた歴史を教えるべきです。道を踏み誤りますよ。

聖徳太子が、”日出ずる国の天子”と、随の皇帝煬帝と対等の立場で書簡を送ったことは有名ですが、ここからも今流にいえば、独立した主権国家の矜持が伺えます。

 

というわけで、着物は日本独自の固有の衣服です。私は武道経験もありますが、その事実も日本独自だと、明白に示してますね。

 

道着も右前です。

 

 

着物、右前問題

 

そしてようやく、右前問題です。

この”右前”、現代人はファッションの一部、たとえばスカートをAラインに、とか肩をドルマンスリーブに、など、記号的な表層の表現、としか考えていないと思います。

ですが、この”右前”には、着る人の健康を保ってさらに長寿を願った、そんな理念が込められているのです、と私は推察しています。

健康を目指すための施術をしてますので、そんな考えに至ったわけなのです。

その意味とは!

 

どうしても日常生活送っていると、右利きが多いため、左回旋(まぁいわば左向き)になりがちなのです、私たちの体とは。

その日々積み重なっていくズレを、着衣を左側が上にくるように動作することで、正中(体の中心線)をニュートラルに戻して、健康維持できるように、そう先人が考えたからに違いないと私はほぼ断定しています。

帯の結び方まで同じように、考えられているのですから。

着物を着るたびに、実感しています。

毎日着る衣服にも、毎日着るからこそ、一貫性のある考えが投影されてるって、凄くないですか、私たちの文化って!

体、健康への理解という意味でも、かなり鋭い洞察だと思います。武道の技もそうで~す。

またそれは、子供や孫、子孫が代々健康に長寿で過ごせるよう、そんな思いが込められているからに違いないのです。

 

奥深い背景が散りばめられた着物、着付けはなかなか難しいのですが、大切に使わせていただきたいと思います。

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