ユダヤ人埴輪がなぜ日本に!?
千葉県にあります芝山古墳に行ってきました。ずっと行ってみたいと思っていたところです。
こんもりしている小山が、姫塚古墳。
こちら、40メートルほど隣にある殿塚古墳。大きさから、姫塚、殿塚、との名称だそう。
どちらも前円後方墳(前方後円墳と教えられましたが、アレ、間違いなんですね。円部分に棺があるので、主要なのは円部分なのです)。
埴輪が多かったのが、姫塚古墳だそう。
憧れの芝山古墳で、東北大学名誉教授、田中英道先生と。
近くの博物館へ。
こちらの古墳では、このようなヒゲ帽子の埴輪が多く出土されています。
これまでは、”武人埴輪”とされてきたそうなのです。この妙な方々について、解読されたのが、田中英道先生なのです。
その研究成果を、招かれてイスラエルの学会で発表されたときのこと。
これら武人埴輪の写真を見せた途端、イスラエルの学者の方々が、異口同音に「こんなユダヤ人、今でもたくさんいる」と驚いたそうなのです。
”ユダヤ人埴輪”と、同定されたわけです。
特徴としては、
・鼻が高い
・帽子
・美豆良(みづら、ぐるぐるのもみあげのこと)
いろんな埴輪がありますが、縄文土器の芸術性に比べてしまうと、表現の稚拙さはなんとも・・・。
この方、見るからに兵士ですね。手の甲に注目。十字架のデザインなのです。これは薩摩島津家の家紋でもあって。
埴輪のボリューム感は、こちらの写真でわかりやすいのでは。
そう馬は、もともと日本にいなかったそうなのです。ユダヤ人が西方から連れてきたそうです。羊も。
(群馬の多胡羊太夫 たごひつじだゆうは、7世紀に和同開珎という貨幣を初めてつくった人と知られてます。羊太夫 羊を連れてきた?群馬 馬の群れ?日本語っておもしろいのです)
というわけで、中国や朝鮮からいろいろ伝わったとされてますが、中国朝鮮ではなく、ユダヤ人が伝えた、と考えるのが妥当のよう。
お米は、縄文時代後期にすでにつくられていたことがわかってますし、6世紀に中国へ絹織物を輸出した記録もあるのです。
仏教はインド発ですが、それを持ち込んだのは、蘇我氏(ユダヤ系の方々)。
なんでもかんでも中国朝鮮から来た、とされがちですが、正しい歴史的事実をきちんと伝えたいものです。
そうそう日本人のDNAからも、中国朝鮮とは異質で、ユダヤ人と40%も近しいことがわかっているそうです。
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