世界遺産、丹生都比売神社へ(和歌山へ3)

2)丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)へ。世界遺産です。弘法大師による高野山開山以来の守護神であるこちらの神社と高野山の関係に、神と仏を大切にする日本人の祈りの源泉があるとされたそうです。

外鳥居。両部鳥居、という形式で、密教の胎蔵界、金剛界をあらわしているそうで、神仏融合が盛んだった神社にみられるそう。

 

 

 

輪橋、神様がお渡りになる神橋だそう。こちらでは参拝者も渡れるそうなのですが、雪のためこの日は閉鎖。

 

禊橋を渡り、中鳥居へ。

 

こちら楼門。室町時代の入母屋造、檜皮葺きの立派な楼門です。一般の参拝はここまで。

 

 

 

昇殿参拝させていただいた本殿。すがすがしい佇まいですね。

 

正式参拝の後、本殿を案内してくださいました。

それぞれ

丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)天照大神の御妹神さまだそうです。
高野御子大神(たかのみこのおおかみ)丹生都姫大神の御子。
大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)
市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)

をお祀りしているそうです。

立派な神社でした。春日大社との関係が深いようなお話でした。

 

3)つづいて伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)へ。

こちらは、素戔嗚命の子、五十猛神(いそたけるのかみ)をお祀りしています。

五十猛命は、妹神の大屋都姫命(おおやつひめのみこと)、都麻津姫命(つまつひめのみこと)を連れて、高天原から持ってきた植物の種を全国に植えたそうです。

九州から植樹をはじめ、紀伊国(木の国)に鎮まったそう。

 

こちらが拝殿。割拝殿というそうです。この中央をぬけていくと、

 

本殿へ。

 

 

 

こちらの神社のすぐ近くには、

”ときわ山古墳”があります。鍵がかかっているのですが、中をのぞくと

 

整然と作られた石室。

田中先生のお話を伺います。

 

伊太祁曽神社の境内では、たくさんの氏子さんたちがお正月の準備をなさってました。

 

4)次は、竈山神社(かまやまじんじゃ)になります。神武天皇が東征した際、お兄さんの彦五瀬命(ひこいつせのみかど)は、長脛彦との戦いで流れ矢にあたったことが元て崩御されました。

そしてここ竈山に葬られたそうです。

神門

本殿

 

お詣りしました。

 

5)次は、日前神宮(ひのくまじんぐう)、國懸神宮(くにかかすじんぐう)。コンビニの数より、神社仏閣の数の方がはるかに多いそうですよ、ニッポン。

 

日前神宮

 

國懸神宮

 

敷地内に、二社がご鎮座されてます。

 

日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し、國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しているそうです。

 

6)ラストは、岩橋千塚古墳群(いわせせんづかこふんぐん)へ。

 

4世紀から7世紀にかけて800基にものぼる古墳があるそうです。

古墳群の手前に、紀伊風土記の丘施設があります。

 

博物館のエントランス、

 

入り口手前左に、なにやら豪快なデカイものが!

なんと樹齢350年のクスノキだそう。放射能炭素年代測定法によると、西暦700年くらいに伐採されたものですって!

平成23年の台風後、紀の川で発見されたそうなのです。あまりの大きさにビックリしました。直径4メートル、周囲12メートル。

博物館では、埴輪などが展示されていました。

 

赤ちゃんの頭部くらいある大きさの埴輪。美豆良(みづら、古代ユダヤ人必須の髪型で、両脇でわけた髪の先を束ねたもの)が両耳前にありますね。

 

こちらも子供が乗れそうな大きさの馬の埴輪。馬は、もともと日本にはいなかったのです、秦氏(はたし、ユダヤ系の帰化人と田中先生は考えてらっしゃいます)が連れてきました。

こちらも高さ50センチ程度の家の埴輪。建築土木技術をもたらしたのも、秦氏のようです。屋根部分など、神社の千木に似てますね。

こちらは、”子持ち勾玉”だそう。

 

 

博物館のウラのお山に、古墳があちこちに点在していました。

 

そのうちのひとつ、石室。現代人でも十分入る大きさ。

 

山なので起伏はありますが、お散歩して気持ちのいいロケーションでした。

 

というわけで、運慶につられて訪れた和歌山でしたが、盛りだくさんの楽しい美味しい旅行でした。

ありがとうございました!

 

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