祇園祭3,ミケランジェロの400年以上前に、素晴らしい芸術家が日本に!

祇園祭前祭の翌日は、京都の神社仏閣へ。

蓮華王院三十三間堂。

1164年、法住寺殿の一画に平清盛が建立した仏堂。

当初の建物は焼失、約100年後の1266年に再建されたものが今日のもの。

 

仏像の修復に、慶派(鎌倉仏師、運慶の一派)が加わったため、見事な作品が目白押しなのですが、撮影禁止ですので、上はパンフレットより。

とりわけ湛慶(運慶の長子)による、二十八部衆像が見事でした。仏教や千手観音を護るとされる二十八の天部(てんぶ)。

そしてさらに湛慶による”風神雷神像”もまた圧巻。

 

続いて、六波羅蜜寺へ。963年、空也上人の祈願文から創られたとされています。

こちらも撮影禁止ですので、パンフレットより

運慶の四男、康勝による”空也上人”像は、見事です。写実性というより、皇子という出自に関わらず、出家し粗末な身なりで説法を続けた、とされる空也上人の真摯な姿を彷彿とさせます。

音という目に見えない現象を、小さな仏像で表現した独創性も素晴らしい。

それから湛慶による、運慶像、湛慶像、そして平清盛像も息をのむ迫真性。

ミケランジェロの400年以上前に、日本にはこんなに素晴らしい芸術家がいたんです!

田中英道先生によりますと、このように卓越した仏像が生み出されたのは、日本のみ。

インドも中国も類型的な像のみ。

なぜ日本で発達したかというと、仏師(ぶっし)が制作したから。

この仏師も、日本のみに存在。とりわけ運慶の慶派は、仏教でも法相宗という、自分で悟りを切り開く、そういう宗派だったため技量が高いそうなのです。

南無阿弥陀仏を唱えればいい、という浄土教になると、途端に作品の質が落ちる、と田中先生。

 

鑑賞後、境内で一休み。京都は寺社もゆったり造られていて、心がなごみます。

 

続いて建仁寺へ

お庭が広くて立派。京都の庭園、といえばこちらが舞台のことが多いそうです。

お寺、広いので、”行軍”のよう。

 

 

 

建仁寺といえば、俵屋宗達の”風神雷神図屛風”が有名ですね。展示されていたのはレプリカでしたが、素晴らしかったです。

風神雷神・・・尾形光琳、酒井抱一も描いていますが、田中先生は俵屋宗達を一押し。

 

お寺のひろい縁台で一休み。あまりにも気持ちよかったので、ワタクシ横になってみたんです、そうしてみたかったので。

 

そうしたら天井はこんな感じ。すべて一枚板のようです。見事ですね。

な~んて浸っている場合ではなくて、すぐさま警備員が飛んできました。

「寝そべらないでください!」と。はいごめんなさい。

 

まだまだあるよ、縁側シリーズ。中庭に面した場所。こちらも気持ちよかったです~。

 

そうそうこちら、海北友松の襖絵目白押しです。上は雲竜図。

建仁寺は、臨済宗を日本に伝えたとされる栄西禅師が、1202年開山。

 

続いて

ロープウェイにも乗って、

石清水八幡宮へ。

日本全国にある神社のうち、八幡神社って、どのくらいの割合だと思いますか?

 

な~んと5割!つまり神社の半分は、八幡神社。ちなみに、残り5割のうちの2割が、金毘羅さんだそうです。

 

そうそう、八幡神社の総本山といえば、大分の宇佐八幡。

859年、宇佐八幡で行教和尚が、日夜祈祷していたところ、八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙ったのが、こちらの御宮の始まりだそうです。

御祭神は、神功皇后、応神天皇、比咩大神という立派な方々。

もともと官幣大社であったことから、御皇室との関係も深く。上は今生天皇皇后もお通ししたというお部屋。

田中英道先生のご著書が広く読まれるようになり、神社で丁寧にもてなしていただく機会も増えました。

 

この日も盛りだくさんでした。

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