テロに屈しません!
安倍元首相が、凶弾によりお亡くなりになるという悲しい事態に。
教育基本法の改正や、日本の安全保障の枠組みを初めて日本から発案されたり、財務省主導だった経済を立て直したり、
毅然とした外交をされたり、戦後77年もGHQから押し付けられたままの憲法(あんなものまだ使っているのか、と当のアメリカ人も相当驚いたという”憲法”)を、日本防衛のために変えようと
奔走されたり。それによって、多くの敵、批判を受けることに。
日本のために、戦後の悪しき体制を乗り越えようと尽力された立派な首相でらっしゃいました。
いくらほじくっても何も出てこない”モリカケ”で、2年以上日本の政治は停滞。憲法改正論議をさせないため。メディアも野党も、なぜこれほど反日なのでしょうか。
日本人で日本で生まれ育ったのなら、どうして日本を忌み嫌うのでしょうか。
日本国史学会の講演会のテーマは、奇しくも、”聖徳太子はなぜ暗殺されたか”。
タイムリーすぎますよね。
621年12月に、聖徳太子のお母さま、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が、622年2月21日聖徳太子のお妃、膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が、翌2月22日に聖徳太子が相次いで逝去されました。
643年には聖徳太子の皇子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)一族がみな、蘇我入鹿によって自害に追い込まれました。
そうして、645年にようやく、中臣鎌足と中大兄皇子が、蘇我入鹿を成敗します(乙巳の変)。入鹿の首が盛大に飛ぶ絵が有名ですね。
現代の日本にも、中臣鎌足が待ち遠しいですね。
日本国史学会、代表理事の田中英道先生と。私は駒絽の小紋です。
喪に服する意味で、黒オニキスの帯留め。
後ろ姿、帯の様子もきれいに撮ってくださいました。紅葉柄、紗の名古屋帯です。
ありがとうございました。
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